インフルエンザには肺炎,中耳炎,関節炎,筋炎,熱性痙攣など多くの合併症がありますが,最も深刻なのは脳炎・脳症です.毎年2月頃,インフルエンザ脳炎・脳症に罹患したお子さんの様子がテレビで放映されるので,みなさんも御存知のことと思います.

私は新潟大学医学部附属病院小児科に11年間勤務しました.この間に約30例のインフルエンザ脳炎・脳症を経験しました.ほとんどの症例は,死亡するか命が助かっても精神発達遅滞,脳性麻痺,癲癇などの重い後遺症を残しました.目立った後遺症もなく軽快した症例は3-4例だけでした.

ある冬の晩,私は病棟の当直でした.午前2時頃,A病院の先生から緊急の電話がありました.痙攣が止まらない3歳の子どもがいるので,救急車で搬送するという連絡でした.

搬送までの経過は以下の通りでした.30時間前に40℃の高熱が始まりました.15時間前に1回目の痙攣を起こしましたが,すぐに止まりました.10時間前に2回目の痙攣を起こし,インフルエンザ脳炎・脳症を疑われてA病院に入院しました.抗痙攣薬の静脈内投与で痙攣は収まりましたが,意識レベルの低下が続きました.4時間前に3回目の痙攣が起こってしまい,全身状態も悪化して自発呼吸がなくなり,気管内挿管をされました.搬送中に救急車内で心停止を起こし,心臓マッサージを施されて蘇生しました.

病棟に到着した時点では痙攣は収まっていましたが,意識はありませんでした.心臓は動いていましたが,自発呼吸は乏しい状態でした.急いで人工呼吸器を準備して,さあ治療をしようとしたその時でした.挿管チューブから真っ赤な血液がビューと吹き出しました(肺出血).同時に,腹が膨れ上がって黒ずんで来ました(腹腔内出血).呼吸も心臓も停止しました.蘇生を試みましたが,心臓マッサージにも薬物投与にも全く反応せずに,永眠しました.最初の発熱から死亡まで,わずか30時間でした.診断はインフルエンザ脳炎・脳症のうちの「出血性ショックを伴う急性脳症」でした.

インフルエンザ脳炎・脳症は痙攣,意識障害などで発病します.発病当初は熱性痙攣と区別がつきません.治療は,痙攣のコントロール,呼吸や循環の管理,脳圧の軽減などの対症療法を行ないますが,特効薬はありません.前述した3歳のお子さんのように急激な経過をとる場合がありますが,このような症例ではたとえ病初期から高度な医療機関で治療したとしても手の施しようがなく,生命予後は不良です.

インフルエンザ脳炎・脳症は「出血性ショックを伴う急性脳症」「ライ症候群」「急性壊死性脳症」および「これらの類縁疾患」の総称です.決して単一疾患ではありません.したがって臨床像は様々で,成因には相違があり,何故起こるかのなどは未だ十分に解明されていません.

現時点ではインフルエンザワクチンが脳炎・脳症のリスクを軽減させるという確かなデータはありません.インフルエンザは罹患する人の数が膨大な割にはウイルス学的に確定診断される症例が極めて少ないこと,インフルエンザ脳炎・脳症の発症率が低く疫学的データが得にくいこと,インフルエンザ脳炎・脳症は単一疾患ではないこと,などがその理由です.

しかし,インフルエンザワクチンを接種すれば乳幼児であっても感染防御,症状軽快に十分なレベルまで抗体が上昇すること,たとえ罹患しても最高体温が低くなり有熱期間が短縮することは既に証明されています.インフルエンザは脳炎・脳症だけでなく,さまざまな合併症を起こします.もうすぐそこまで冬将軍がやって来ています.
インフルエンザワクチンの接種は早めに済ませましょう.